プロラクチン産生下垂体線種を患ってからの5年間、治療と並行しつつ仕事をし休職を経て退職、そして転職の経験をしてきた体験談を当ブログ内では綴っています。
その間に結婚もし、とても濃い5年間を過ごしてきました。
そしてこれからもプロラクチン産生下垂体線種との付き合いは続いていく予定ですが、少しでも同じ病気で悩んでいる方に、こんなことあるけどこうしたらよかったよ!、こういう症状でるよねキツイよね!って共感してもらえたり、悩みが軽くなったりしてもらえると嬉しいなと思い、今までのまとめを記します。
治療初期はプロラクチン値に悩まされる
プロラクチン(PRL)値がカバサールを服用してもなかなか下がらず、仕事との向き合い方にも非常に悩みました。
不規則な休日取得で決まったサイクルで服用できないことは効能にも影響するのはもちろんのこと、私自身のストレスにも繋がっていました。
今思えば、もっと早く仕事を辞めて身体に負担の少ない職種や時間、雇用形態を検討すべきだったと思います。
医師からは1日4時間程度の軽作業を勧められていましたが、当時はどうしてもプライドが許さなくて悩みました。
その後、転職先には週4日パートを選択しましたが、どの仕事でもやりがいは変わらないしできることは沢山あるんだと思えると同時に、自分の身体を労わる時間が増えたことで症状の改善にもつながったと思っています。
うつっぽい症状の出現
ホルモンをつくる場所に腫瘍が出来ていることもあるのか、気分の乱高下が激しく、うつっぽくなったり、時には身体が思うように動かず辛かったりと悩みがありました。
病気が影響なのか薬の影響なのかは分かりませんが、プロラクチン値が低くなると自然とその症状も治まり、今は穏やかな気分でいられることが多くなりました。
うつっぽい症状が全員に当てはまるとは思いませんが、私の場合、休職をしてからそれは出現しました。(自覚症状のみ、診断は受けていません。)
とにかく無気力で眠れず食欲もない、存在意義が見出せず夫にも申し訳なさを感じていました。
でも誰かがそばにいることは生活する力になりました。きっと夫がいなければ1日中言葉も発さず家事もほったらかしていたと思います。
うつっぽい症状から脱するため改善したことは、
- 休職中でも生活リズムは崩さないこと
- 運動など高い目標設定をしなくて良いのでとにかく家事をして身体を動かすこと
- そうするとお腹がすくのできちんと食べること
この3つを守れると次第に意欲が湧いてきて、太陽の光が心地よかったんですよね。
ちゃんと生活して健康にならなきゃと心底思いました。
休職して自分と向き合う時間や治療に専念する時間をとれたことは、人生において本当に大きなことだったと思っています。
身体の不調と心の不調
そうした経験をする中で気付いたことは、第一に身体を治すことだと思いました。
全ての根源を絶つということです。これは他の病気でも同じことが言えると考えています。
なかなか難しいことかもしれませんが、心が追い付かなくてもまずは無理やりにでも身体が健康になるように生活を工夫すると、いつの間にか動けるようになります。動けると意欲が湧く、その繰り返しで心の健康にも繋がりました。
最初のころは1日の時間割を自分の中でつくってその通りに過ごしていましたが、振り返るとそれもよかったのかも、と思っています。
今とこれからのこと
プロラクチン産生下垂体線種は不妊の原因になるとも言われています。実際に不妊治療から判明された方も多いと思います。
私は子供がいません。それでも、楽しく生活ができるならこれ以上なく幸せなことだと思っています。
楽しい生活=健康、ブログのタイトル同様に少しでも健康に繋がるものを楽しみながら、いずれ頭から腫瘍が無くなる日を目指します!
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